円城寺

鎌倉期に繁栄したという。提婆宮という呪いの社がある。

(岡山県吉備中央町円城)

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円城寺。鎌倉時代に僧房を連ねて繁栄した寺なのだという。円城寺ふるさと村の中心施設と言っていいのだが、なぜかその門前の人家が更地になっていた。門前町、宿坊街のような風情を期待していたのでちょっとがっかり。

境内は横に広く、西側に庫裏があり薬医門がある。

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境内の東側は本堂エリアになっている。

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参道の様子。

左側には東司。正面の山門は木に隠れて見えにくいが、三間一戸楼門の仁王門だ。

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仁王門を入ると右側に鐘楼(左写真)、右側に水盤舎があった。

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さらに進むと右側に阿弥陀堂がある。やや怪しげな大仏殿っぽい建物だ。

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建物は新しいが、中の阿弥陀様と脇侍は古いものだ。私は仏像の年代はよくわからないが、表面の古び方からして明治以降ということはないだろう。

本堂の下へ下りる階段があった(写真の左下の手すり)ので、一瞬「戒壇巡りかっ!!」と思ったが、ただの納骨堂であった

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本堂。

築50年はたっていない雰囲気。ケヤキ造り、丸柱で正面2間が吹き放ち。床下には亀腹をもつ天台密教らしい本堂であった。

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本堂の右側から山門方向を見た様子。本堂の右側には弁天池があった。

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本堂と庫裏の間には渡り廊下があり、その奥には鎮守社がある。これが提婆(だいば)宮か?

“加茂の提婆宮"といえば宗教王国岡山県でも屈指の呪詛の社なのだそうだ。いわゆる丑の刻参りをして相手を呪うと、提婆宮の眷族の狐が相手に取り憑いて殺してしまうのだ。人々は“加茂の提婆は人をとる"と言って恐れたという。

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そもそも「提婆宮」というのは何なのだ? あまり他所では聞いたことがない。釈迦を暗殺しようとした弟子、提婆達多を祀った社か。

岡山は“狐が憑いた"、“狐を憑けた"というような一般的な憑き物信仰は他の地域に比べて目立って多いとは言えないようだが、仏教周辺の民間信仰の神に得体の知れないものが多いように思う。

(2001年05月05日訪問)