福生寺

かつて三十三坊を数えた古刹。その雰囲気は充分堪能できる。

(岡山県備前市大内)

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旅の1日目最後の訪問地は備前市の西の山の中の寺。かつてここに大滝山福生寺という古い寺があったという。奈良時代に創建され、南北朝時代に足利氏が再興し、全盛期には三十三の僧房があったという。現在は「福生寺」という寺はなく、福寿院、西法院、実相院という3寺が残されている。

左写真は八脚門。足利氏が建てたもの。

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八脚門から本堂まではけっこう距離があり、当時の寺域が広大だったことがうかがえる。

本堂(左写真)。正面2間が吹き放ちになっている。市重文だが均整のとれた美しい建物だ。こういう建築は関東以北ではそうは見られない。西国の仏教文化の洗練度を物語るものだ。

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本堂の右側奥には大師堂。(写真は本堂の左側から裏手を見た様子。)

谷の広い範囲に伽藍が散らばっている配置で、私としてはかなり好きなタイプの寺だ。しかし雨はまだ降ったりやんだり。足元はぐずぐずにぬかるんでいて、靴も泥だらけになってふやけてくる。せっかくの名刹なのに歩くのが苦痛だ。

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本堂の左側奥には輪蔵(左写真)。奥に大師堂が見える。

本堂のエリアには他に鐘堂があった。

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輪蔵の内部には朱塗りの経巻棚があり、その手前には、傅大士(ふだいし)普建童子(ふげんどうじ)普成童子(ふぜいどうじ)の像が置かれている。傅大士は輪蔵を考案したという中国・南北朝時代の僧だ。

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三重塔が山の尾根にあるという。足元が悪いので気が重いが、気合いを入れ直して尾根へと登る。

尾根にはかつて円光院という僧房があったようだ。

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尾根に三重塔が見えてくる。八脚門と同じ南北朝時代の建築で国重文。

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写真では分かりにくいが、山の尾根の突き出た場所に建っている。回りの僧房がすべて山野に戻ってしまい、三重塔だけが山の尾根に残されたのである。野の中にぽつんと建っている塔。とても不思議な風景だ。

こういう風景を現実に目の当たりにするのは、何にも代えがたい貴重な体験だといえよう。こうした記憶の積み重ねが、時間や空間に対する想像力の源泉となるのだから。

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塔のある尾根から谷に戻る。谷にもいくつも僧房の跡が残されている。左写真は吉祥院という僧房の跡。

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本堂付近に戻ってくる。現存する3寺のひとつ福寿院。

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福寿院の全景。

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福寿院の奥にあった寺。実相院か。(?)

中央奥には三重塔が見えている。三重塔を借景にしてしまうという贅沢のきわみである。

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実相院(?)の奥には滝があり、天女堂という弁天堂があった。

そうしているうちに次第に雨足が強くなり、逃げ帰るように車に戻る。この大滝山福生寺、もっと時間をかけてゆっくり見て回りたい寺だった。

空腹で、雨に濡れた髪はぼさぼさ、靴は泥まみれ。なんとも惨めな状態で旅の1日目が暮れた。備前市の市街地へ戻り、小さなステーキハウスを見つけて夕食にする。暖かいスープとご飯を食べると少し元気がでてきた。

それから宿泊予定地の牛窓町へと向かう。牛窓に着いたのは8時近く。田舎の小さな港町は完全に夜のとばりにつつまれていた。とても安宿を探せる状況ではない。あきらめかけたとき港のフェリー乗り場に一台のタクシーが停まっているのを見つけた。イチかバチか運転手さんに相談。観光地のためか想像以上に宿の相場は高かったが、何件かの民宿に交渉してもらって、なんとか希望の金額の宿を確保。親切な運転手さんであった。

(2001年04月29日訪問)