閑谷学校
(岡山県備前市)
兵庫県太子町から山陽高速道を使って岡山県まで一気に移動する。やっと本来の旅の初日の最初の目的地である閑谷(しずたに)学校へと到着する。
閑谷学校は江戸時代初期(1670年)に岡山藩主池田光政が作らせた藩校で、武家階級だけでなく庶民階級も学ぶことができたという画期的な学校であった。教えていたのは儒学。
備前市の山深い場所にあり、道すがら本当にこんな山奥に学校があるのかと不安になってしまうような場所にある。到着したときは小雨がぱらつく肌寒い天候となっていた。
入場料は300円。
校門(国重文)は、またも棟違いの門だ。「えっ、これで重文?」と思わず呻いてしまうような門である。
この日は十輪寺でも似たような門を見たばかりだったので、珍しい門に縁のある日だった。
敷地は広々していて、西側に講堂(国宝)がある。立派な建物ではあるし歴史的価値のあるものだが、個人的には国重文でいいのでは、と思ってしまう建物だ。戦前まではやたらと国宝が指定され、多くは戦後国重文に格下げされたが、これはそのテの建物だと思う。重文に格下げされなかったのは文化財を選定した役人や学者のインテリ的な視点から見た思惑が感じられて、正直なところあまり気持ちのいい文化財ではない。
講堂を南側(側面)から見るとこんな感じ。
雨が降ってきたので観光客が軒下で雨宿りしていた。講堂内には自由に上がることができる。
内部はこんな感じだ。床はぴかぴかで鏡のよう。
いかにも厳粛な雰囲気の空間だ。冬などさぞや寒かっただろうと思う。
校内にはほかに閑谷神社(左写真)、孔子廟などがある。
閑谷神社は藩主池田光政が祭られている。国重文。
これも行き過ぎた指定だと思う。
閑谷学校の回りの石垣(国重文)は、かまぼこの様な形に積み上げられた珍しいものだ。中国の影響とも言われている。
奥に道が続いている。
道の突き当りには、旧閑谷中学の校舎が残されている。狭い場所で写真がうまく撮れなかった。