法光寺・三重塔

(青森県名川町)

 

法光寺三重塔は北限の三重塔なのだという。完成したのは昭和24年という。

高さは33mで木造で国内最大というが、その外見はあまりにも無粋だ。単に高い塔を建てたいというのなら、もっと相輪を高くしてもよさそうだが、相輪も不釣り合いに短い。

この塔がこのような外観になってしまった最大の理由は、2階3階に登れるようにして、欄干にも出られるようにしたためではないかと思える。

以前の文章でも書いたが、三重塔には登楼が可能な異端の塔がある。この塔は、その一例なのである。

運良く正面の扉が開いている。さっそく入ってみることにしよう。

1階には永平寺から分骨された道元の遺骨が祀られている。道元とは曹洞宗の開祖である。

見てわかるように1階の中央には四天柱(してんばしら:写真で見える4本の円柱)がある。

1階の様子(180KB)

そして、その四天柱の裏に回り込むと、2階へと上がる階段がある。

残念なことに、立入禁止の看板が立っているのでこれ以上登ることはできない。

よって、ここから先は念写ということになる。

1階から階段を上がると狭い踊り場がある。そして、2階へ行くにはもう一つ階段を登り継がなければならない。

楼門に登る場合でも、重層門(1階と2階の間に屋根がある楼門)の場合は、たいてい小屋組みの中にこうした踊り場がある。塔の場合も小屋組みの部分の厚みがあるので、一つの階段で上りきることができないのだ。

考えようによっては、この三重塔は3層5階(外見は3階で、内部は実は5階)という言い方もできるかもしれない。

階段を登り継いで、2階へと進もう。

2階へ出てきたところ。この穴から出てくるのだ。

2階には五百羅漢が並んでいる。

そして、写真の奥には3階へ登るハシゴが見えている。2階から3階へは階段ではなく、ハシゴなのだ。一般の観光客を登らせるのは、ちょっとつらいものがあるかもしれない。

とにかく、ハシゴを登ってみよう。

小屋組みの中にも、羅漢像が置いてあったりする。

2階と3階のあいだの踊り場に着く。

ここからは2階の羅漢像を見下ろすことができる。

さらに3階へと進もう。

3階への出口。

写真の奥には2階へと続くハシゴが見えている。

3階も羅漢像が置かれている。

羅漢像は焼き物で、前田道六という人が奉納したもので、全部で541体あるという。

だが、地震で落下したのか、床に落ちて粉々に砕けてしまっている像もあった。

立入禁止、と書いてあるわりには2階には賽銭箱が置かれている。賽銭箱は塔の心柱(しんばしら:塔の中央を突き抜けていて、相輪まで達している通し柱)に取り付けてある。

この塔、完成当初にはあきらかに観光客を登らせていたものと思われる。

2層から欄干へでてみたところ。

3階から欄干に出てみたところ。

まわりの杉の木の梢を見ても、かなり高いところであるということがわかるだろう。

欄干の手すりも低く、確かにこのまま一般の観光客を登らせるのは問題があるだろう。

ところで、この塔の心柱には、おもしろい細工が見られる。心柱を3階で吊っているのだ。こうした工法は江戸以降の塔で見ることができるものだ。

左写真は1階の屋根裏で、心柱の最下部にあたる。心柱は地上に届いておらず、四天柱の上に渡した梁の上に乗っている。しかも、“ほぞ”が抜けかけていて、梁にほとんど荷重がかかっていないことがわかる。

2階小屋組みの内部の心柱。心柱が通し柱であることがわかる。

放射状に伸びている部材は尾垂木か。

3階で心柱を吊っている羽子板ボルト。

鉄の棒で3階の屋根の部分から心柱を吊っている様子がわかると思う。こうすることで心柱の重さが全て3階の屋根にかかるようになるのだ。

塔の心柱というのは、相輪の重みと自分自身の重みだけを支える独立した通し柱である。それに対して、他の柱は屋根や床の重みを支えている。柱はそこにかかる荷重によって長い年月の間に少しずつ縮んでゆくのだが、屋根や他の部材全ての重量を受けている柱と、相輪だけが乗っている心柱とでは縮み方に差が出てくる。

当然、相輪のほうが軽いから心柱は他の柱よりも縮みが少なくなる。もし、全ての柱が同じように礎石の上に立っていれば、相対的に縮みの少ない心柱が相輪の部分を突き上げてしまうことになる。

そこで心柱をあらかじめ短くしておいて、最上階で吊ることによって、外周の柱の縮み具合に合わせて心柱も下降させる(相輪を突き上げるのを防ぐ)という工法なのである。

ところで、上の写真で3階から上を見上げてみると、小屋組みの中に床があるのが見えた。こういう床を“力天井”という。秘密の4階といってもいい。

法光寺三重塔は異形の塔ではあるが、登れるという点や塔の構造を理解できるという点で、とても楽しめる塔である。