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実はこの日、神社に詣でたときには写真を撮らなかったのだ。だから近影はない。このあと付近を散策し、旅館への帰り道でふと思い立って遠景を撮影した。「せっかく来たのだから写しておくか」‥‥その程度の気持ちで写したものだ。それが神社の最後の様子を伝える写真となった。これも何かの縁というものであろう。
そもそも私がお寺巡りにハマる原因となったのも、高校時代に近所の枝垂れ桜で有名な寺に友人と写真を撮りに行き、その1週間後にその寺が焼けたという事件がひとつのきっかけになっている。私はその寺が焼けたと聞いたとき、直前に訪れていたにもかかわらず「まだ充分にその寺を見ていなかったのに」という心残りを感じた。自分がいかにものを見ていなかったかを知ったのだった。火事を憎む気持ちよりも「どんなものでもなくなる前に見ておかなければだめだ」という無常観を高校生なりに抱いたのだ。そして今日の私がある。
ここでまた同じような体験をしたが、今回は口惜しさは残らなかった。やはり形あるものはいつかは消えるのだ。今回は自分なりに川原湯神社の最後の姿を充分に看取ることができたのだと思う。
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