真清田神社・門前市

(愛知県一宮市)

 

先に説明したように、一宮市は真清田神社の門前町として発展した街である。門前市は3と8の付く日にひらかれ「三八市」と呼ばれた。江戸時代から木綿や衣料品が中心の市であった。

真清田神社に行ってみて驚いたのは、その歴史のとおりの門前町(仲見世)が現在でも中世の雰囲気をそのままに残っているという事である。

左写真は楼門の前の広場。鳥居の先にはアーケード街。鳥居の手前には服飾品を扱う仲見世が並んでいるのが見える。

婦人服を扱う仲見世。この建物の裏手にも服地や糸などを扱う店がある。

門前付近パノラマ画像(190KB)

それだけではない。神社の境内を取り囲むように毛糸などを扱う小さな商店が続いている。

なんだか、以前ミャンマーに行ったときに見かけた寺院を取り巻く仏具屋や土産物屋の雰囲気そっくりだ。

奥には楼門が見える。

仲見世を裏側からみると左写真のように一続きになっていることがわかる。一宮市は空襲で焼けたので、再建するときに共同で耐火建築にしたのだろう。

楼門の左手の店はみな閉じている。この仲見世の光景は消え行く寸前であり、門前市が好きな人は是非とも早いうちに訪れることをお勧めする。

この門前市、今回の3日間の旅のなかで実は一番のお勧めのスポットである。だが、市としてはこのあたりの商店街を観光要素とは考えていないようだ。市の歴史資料館に立ち寄ったが、ひとこと“真清田神社の付近に三八市の名残をとどめる”と書かれていただけで、この仲見世の存在自体無視している。

実際、仲見世の雰囲気は悪く言えば、江戸時代から続く商売の形態がそのまま歴史に取り残されて残ってしまった、というような存在だ。この情報化時代、地方都市でもファッション感覚は東京と時差はなく、神社の参道にも渋谷のセンター街で見かけるの同じようなファッションのコギャル達が歩いていたりする。そういった若い世代の感覚と、仲見世の商売の形態の乖離は著しく、何らかの経営改善をしなければ早晩この形態は消え行くであろうとは容易に想像できる。お店のおっちゃんやおばちゃんたちもそのことには気がついているが、どうにもならないままどんどん時代が変わってるという状態だ。たとえるなら、初夏が来て周りの人達が衣替えしたのに気付かず、いつのまにか自分一人が暑苦しい格好をしていたことにある日突然気がついたような気まずさ。そんな気まずさを店主達も感じている。気がついていて、どうにもできないうちに、百年の時間を過ごしてしまったというのがこの門前町なのだ。

だから、門前のお店のおっちゃんやおばちゃん達も、私のような物見遊山の観光客に冷やかされるのは嬉しくないらしく、私がお店の商品を珍しそうに眺めていると、ヒジョーに気まずい空気が流れてしまう。市としてもそういう状況を理解していて、門前市を観光資源化できず、かといって、ファッション街として再開発できる見込みもたたず、どうしようもないまま今日に至っているのだろう。もし、このページを見て一宮市に行ってみようと思う人がいたら、そのあたりの状況を察したうえで、つぶれかけた仲見世の前でピースサインを出して記念写真を撮ったりせず、どうかさりげなく観光して欲しい。