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実際、仲見世の雰囲気は悪く言えば、江戸時代から続く商売の形態がそのまま歴史に取り残されて残ってしまった、というような存在だ。この情報化時代、地方都市でもファッション感覚は東京と時差はなく、神社の参道にも渋谷のセンター街で見かけるの同じようなファッションのコギャル達が歩いていたりする。そういった若い世代の感覚と、仲見世の商売の形態の乖離は著しく、何らかの経営改善をしなければ早晩この形態は消え行くであろうとは容易に想像できる。お店のおっちゃんやおばちゃんたちもそのことには気がついているが、どうにもならないままどんどん時代が変わってるという状態だ。たとえるなら、初夏が来て周りの人達が衣替えしたのに気付かず、いつのまにか自分一人が暑苦しい格好をしていたことにある日突然気がついたような気まずさ。そんな気まずさを店主達も感じている。気がついていて、どうにもできないうちに、百年の時間を過ごしてしまったというのがこの門前町なのだ。
だから、門前のお店のおっちゃんやおばちゃん達も、私のような物見遊山の観光客に冷やかされるのは嬉しくないらしく、私がお店の商品を珍しそうに眺めていると、ヒジョーに気まずい空気が流れてしまう。市としてもそういう状況を理解していて、門前市を観光資源化できず、かといって、ファッション街として再開発できる見込みもたたず、どうしようもないまま今日に至っているのだろう。もし、このページを見て一宮市に行ってみようと思う人がいたら、そのあたりの状況を察したうえで、つぶれかけた仲見世の前でピースサインを出して記念写真を撮ったりせず、どうかさりげなく観光して欲しい。
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